2006年10月17日

ありえない対応。

福岡県の筑前町立三輪中学校でのいじめ。
このいじめの発端となったのが
教師の信じられない発言によるものからだからいじめを受けた生徒だけでなく、他の生徒もたまったものではない。

この教師は好調などの信頼を厚く受けていた人物の様だが、
その教師がいじめの発端になるような発言をし、他の生徒にまで心無い発言を日常的に発していた。

いじめ問題を無くす為には教員免許の更新制度の実施や他校への定期的な研修制度、
PTAの頻繁な視察や教師や生徒への無記名アンケートの実施、
PTAや教育委員会以外の市民団体による学校内への視察などを
徹底して行う事により今よりは少しはまともになるのではないだろうか?


なぜ、学校の教師達はいじめをいじめと認めないのだろうか?

子供が精神的苦痛を受け自ら命を絶っていると言うのに
いじめ問題を隠蔽したり、責任逃れをするのだろうか?


精神的な苦痛は肉体的苦痛よりダメージが大きく、
その傷が癒えるには膨大な時間が必要である事を教育者なら理解してもらいたい。

精神病に入院している患者の多くが長期入院しているのか理解してほしい。
精神的ダメージと精神が病んでいる人では違うが
肉体的ダメージより精神的ダメージの方が遥かに癒えるのに時間が掛かることを理解してほしい。
posted by まさぽん at 09:26| Comment(33) | TrackBack(9) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

いじめを隠蔽するな!

北海道滝川市の教育委員会と江部乙小学校側の対応に怒りを覚えたのは俺だけではないはずだ。

自分の死の後に読んでもらう為に書いた「遺書」を「手紙」と称し
各メディアの取材に対して「いじめではない」と言うようなニュアンスに取れる発言をノラリクラリと答えるだけで記者会見を見ているだけでフラストレーションが溜まる。

メディアは「遺書」。教育委員会では「手紙」の内容
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学校のみんなへ
 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
 私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。
 6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
 でもこわくてできませんでした。
 でも今私はけっしんしました。(後略)

6年生のみんなへ
 みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。(後略)

※一部抜粋、仮名遣いなどは原文のまま
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上記の内容、みなさんは「遺書」だと思いますか?ただの「手紙」だと思いますか?

俺は紛れも無く「遺書」にしか思えない。「遺書」と思うのが極めて自然です。


では、なぜここまでいじめを隠蔽する必要があるのだろうか?
ここに大きな疑問がある。

今回、いじめでクローズアップされた滝川市だけではなく、もちろん北海道だけでなく
このいじめ問題は全国的に隠蔽する傾向が非常に強い。

この疑問を解決しない限り教育委員会や文部省は本気でいじめ問題を解決しないだろう。


ちなみに2005年度は横浜市内の小、中、高校で794件発生しているようだが、これは教育委員会が解っているだけでの話で氷山の一角に過ぎないはずだ。


滝川市教育委員会と江部乙小学校はこの問題の風化を大人しく待つ様だが定期的にこのブログで取り上げて行きたいと考えてる。

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◇リンク一覧◇

滝川市オフィシャルサイト
滝川市教育委員会
◆滝川市教育委員会メールアドレスgakukyou@city.takikawa.hokkaido.jp
江部乙小学校(現在削除されてます)
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posted by まさぽん at 19:26| Comment(13) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月01日

「美しい日本」

安部新総理大臣の所信表明で「美しい日本」と言うキーワードが発せられた。

自立の精神を大事にする世界に開かれた「美しい国、日本」を安部総理大臣は目指している様だが、この発言に恐怖を感じるのは俺だけだろうか?


この「美しい日本」の複線として国歌・国旗関連の問題があるのでは?と、感じる。

この件に関しては東京都知事が控訴するようだがお国がここまで国歌・国旗に躍起になるのは、前々から皆知っていた安部新総理を中心とした、
この「美しい日本」が関連しているのでは?と強烈に感じる。


「美しい日本」とはなんぞや? それは簡単なことです。

特権階級の連中の汚い金を徹底的に追求し、
特権階級の連中に私利私欲に走らず「我々は国民に担がれた神輿」と自覚させる事だ。


これができない「美しい日本」は虚言の「美しい日本」ではないだろうか?
posted by まさぽん at 01:14| Comment(1) | TrackBack(1) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

小林被告に死刑。

小林被告に死刑判決がでた。

被告人、被害者遺族が望んだ判決が下った訳だが、被告側の弁護士は控訴するようだ。


これって、オカシクナイデスカ?

被告人が望んでいる判決が下ったのなぜ控訴しなければならないのだろうか?


被告人と弁護士がきちんとコミュニケーションを取れているのであれば
控訴などあり得ないと思う。

仮に被告人本人が死刑を望んでいないのであれば話は別だが
これでは弁護士の一人よがりに思えてしまう。

例えるなら飲食店でステーキをオーダーしたのに
おにぎりが出てきた程コミュニケーションが取れていないと言ってもいいのではないだろうか?
posted by まさぽん at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

国旗・国歌に敬意を示せないのは政治のせいです。

率直に言って、法律で国歌・国旗に敬意を示すのに法律を用いる事自体ナンセンス極まり無い事だと思う。

法律に「愛国心」についての記載があるのもいかがなものだろうか?


自国への愛国心や国歌・国旗に対する敬意とは何者にも強要されてはいけないハズです。

そもそもこれらの物に国民が敬意を示さなくなったのは
政治や警察、官僚などの特権階級の不祥事が明らかになっているからではないだろうか?



特権階級のヤツラが悪さをしなくなり、国民が住みやすい町になった時
自ずと国民達に愛国心が芽生えてくるものです。

特権階級のヤツラは俺ら国民を税金を払うだけのペットだと思っているのかな?


先の裁判で日の丸・君が代の強要は違憲と裁判長が判決を出した。

この判決に対し、石原慎太郎都知事は控訴をする事を公言して
「規律を取り戻すには統一行動が必要。その一つが式典での国歌・国旗に対する敬意だと思う。それがすべてとは言わないが、これも一つの手だてだ」
述べている。

国民に統一行動を求めることって大変危険な事ではないでしょうか?
まるで、共産主義北朝鮮のマスゲームが一瞬で脳裏に浮かんでしまいました。


都知事である石原慎太郎氏は以前から心無い発言が非常に多い都知事だという事は皆さん知っていると思いますが、あえて例をあげると
「フランス人は数を勘定できない」とかなんとか。他にも多数あるが一度も謝罪をしたことがない。


ちなみに死亡事故なども起きてる戸塚ヨットスクール「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織しこれを支援もしている。

時代に逆行する体罰を良しとする戸塚ヨットスクールをだ。


石原慎太郎は権力を持った危険人物ではないだろうか?
posted by まさぽん at 21:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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